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年末は夜逃げが多いらしい

やりきれない話
今週のはじめのことだった。
「近所の家が夜逃げしたかもしれない」
と、父が言っていたと、母は言った。ここ数日、人の住んでいる気配がないらしい。

ったく、根拠もなく人の家のことをごじゃごじゃ言うとか下衆くない?と思ったが、確かに、毎日夕暮れ時に、庭のいつもの場所に車椅子を止めて、夕日をぼんやりと眺めている老婆も、その横で遊んでいる小学生の子供も見かけなくなった。リフォームして10年も経っていない比較的綺麗な家からは、もう何日も明かりが漏れていない。

その子供も、いとこだかなんだかの子供で、シングルマザーになったとかなんとかで、去年か一昨年くらいから、ちょこちょこ顔をみかけるようになり、いつからか、学校の制服を着るようになっていた。その母親も、家主も、おばちゃんも、50過ぎて独身の妹も、とんと見かけない。

その家の前には、いつからか、毎日フルスモークの乗用車や軽自動車が、庭や近くの路上に長いこと止められるようになっていた。それももう見かけない。

わたしが子供の頃、そこは小さな駄菓子屋で、毎日通っては、レジで水戸黄門を見ているおばちゃんを冷やかしたり、外に置いてある30円でできるアーケードゲームをやったりしていた。わたしが高校にあがった年くらいに、店は潰れた。

夜逃げと言われれば、そんな気もしてくる。思い当たる節は、いくつもあった。一瞬、旅行なんじゃないの?とも思ったが、もはやそう考えるほうが不自然だった。年末年始は夜逃げが多いって聞くし。気持ちを切り替えるには、ちょうどいいのかな。とはいっても、クリスマス前。街の賑わいを車窓からどんな目で見てんのかって思うと、悲しすぎるやろ。

ま、夜逃げと決まったわけではないのだが、こういう予感は、たいてい当たっているものだ。ましてやずっと近所付き合いをしてきた父の予感だ。どうあれ、近所の住人がまた減った。

ここ数年で、父は葬儀や通夜に出ることが増えた。近所は老人ばかりだ。

今年の夏は、ひどかった。家から歩いてすぐの、山の斜面を開拓して作った住宅街で、一人暮らしの老人が、家の近くの側溝にハマって死んでいるのが見つかった。死後1週間ほど経っていたという。唯一の肉親である兄弟とは、仲が悪かったようだ。

どれもこれも、わたしにできることはなかったのだが、他人事と割り切って考えることもできない。誰にでも起こりうることだからだ。今の自分が、たまたまそうでないだけだ。まずは、わたし自身が、できることをやらないと、結局誰も救えないし、なにより自分を救えない。

「できること」をやればいいのに、それが困難に思えるのは、どうしてだろう。


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