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ミステリーとドラマの相性と、「相棒」と「古畑任三郎」の違い

オススメ テレビ番組

演者にやたらと説明させるドラマに興ざめしていませんか?

ドラマはフィクションだから、リアリティを求めるのは、野暮なことなのかもしれない。しかし、私は「キャラの心情や状況や展開を説明するためのセリフ」が多いドラマがどうしても好きになれない。「そこでそんなことは言わんだろ」的なリアリティも必然性もへったくれもない台詞がポンポン飛び交うと興ざめしてしまう。そういうのは仕草や動きや演出やらなんやらかんやらで伝えないと、映像でやる意味ないだろ!と思ってしまう。割愛するが、まあいろいろと、仕方ないのだろう。

ミステリーはテレビドラマと相性がいい

その点、ミステリーは良い。さすがに犯罪の状況や推理の展開を演技のみで伝えることはできない。つまり、演者に心情や状況を語らせることができることに違和感がない。役者にいくらでも喋らせられる。泣いたり笑ったりはあまりしなくて良いから、演技も比較的簡単だろう。ミステリーもののドラマは作りやすいから、たくさん作られるし、視聴者も見やすいから、人気になるんだと思う。

「相棒」タイプのドラマの特徴

こういうドラマは、事件を追って走り回り、推理を語ればそれで成り立つ。あくまでも主役は、推理する側だ。探偵のための番組だ。視聴者は、主演俳優が鋭い推理をし、犯人を追いつめていく展開を楽しむ。主役はずっと、テレビに映っていられるのだ。俳優にとって、これはデカイ。実際に測ったわけではないが、この手の番組は、一番組の中で、主役が一番テレビに映っているだろう。それで良い。視聴者はそれが見たいのだから。

犯人にはテレビ的な美味しさはない。ゆえに、犯人に主役級の俳優がキャスティングされることはない。ほとんどの場合、犯人は重要な役割をもたせてもらえない。スポットライトは常に、探偵側に当たっている。だから、犯人に華のある俳優を起用しにくい。見栄えの良い頭脳戦が展開しずらい。ちょっとでも名の知れた俳優がちょい役っぽい感じで出てくると「ああこいつが真犯人なんだな」とわかってしまう。

こういったジレンマから、犯人役は、名前の売れていない俳優が担うことになる。役者としての格の違いが、どうしても画面にでてしまうので、探偵と犯人の、虚々実々、丁々発止、一触即発の華々しい展開が作りにくいことが、短所と言えば短所だが、そもそも趣向が違うとも言える。

この手の番組は、奇抜なトリックや時事的な犯罪が多く、主役のアクションやキャラクターが凝っていたりする。全ては主役のため、主演のための演出だ。とはいえ、有望な若手俳優や旬を過ぎた有名俳優が犯人役で登場することもあり、サプライズ的な楽しみもある。しかし、あくまでも探偵が主役で、主役のためのドラマであることには変わりない。

類似のドラマ

単発の二時間もの全般
(船越英一郎、中村梅雀、山村紅葉市原悦子など)
などなどが思いつく。こうして主役の人物を見ると、ある属性の視聴者に絶大な人気を誇る俳優が主役に据えられていることがわかる。ALL FOR ONEの精神、一点豪華主義、ワンマンチーム。よく言えばテレビドラマの王道。悪く言えば、古い。

古畑任三郎」タイプのドラマの特徴

一方でこちらの系統は、主役とともに、犯人にもスポットライトが当てられている。なんなら、主役より長くテレビに映っている場合もある。つまり、犯人役には、演技力と華やかさを持った俳優が起用される。犯人役にも魅力がある。演じるメリットがある。視聴者は「え!?あの人が犯人役やるの?!」という驚きと期待を胸に、その役柄を演じる俳優を楽しむ。事件の裏側に焦点を当てているという意味では、ゴルゴ13的でもある。主役以外のところにも見所を散りばめるやり方だ。

犯人に華も実もある俳優が起用されるのだから、探偵役にも、それに劣らぬ俳優と役柄が必要だ。つまり、古畑任三郎のような、一癖も二癖もある役を演じられる俳優でなければいけない。華があるだけでは務まらない。「古畑」タイプのドラマは、トリックやアクションよりも、役者同士の演技のぶつかり合いが大きな楽しみなのである。

古畑任三郎は、もちろん刑事コロンボのオマージュなわけだが、両者とも感情をあまり表に出さず、相手を煽るようなことばかりするのは、犯人役の演技を引き出すために必要だからだ。犯人役の俳優に、いろんな感情を演じさせるための演出としての必然性が、あのようなキャラクターにさせたのだろう。このことから、主役は犯人役の俳優だと言ってもいいだろう。

探偵と犯人のセリフのやりとりに最大の魅力があるわけだから、犯罪のインパクトや、奇想天外なトリックはあまり重要ではない。どうして罪を犯したのか?どうやって追求を乗りきるのか?どうしてバレたのか?そういった部分の演技のやりとりにこそ、面白さが宿る。このようなドラマでは、主人公よりも、犯人に感情移入してしまうことが多い。それほどにたまらんのである。

類似のドラマ

眠れる森
ガリレオ
新参者

幅が広いのでなんとも絞りにくい。主演俳優の求心力だけではなく、脚本や演出にも力が注がれているこういうドラマがたくさん作られるようになってきたように感じる。これは、絶対的なスターが産まれにくくなったからなのだろう。

「相棒」が人気シリーズとしている定着したのは、稀有な事例と言える。水谷豊は昔、「刑事貴族」で右京さんとは真逆の性格の刑事として一斉を風靡した。そのイメージをぶっこわしてカムバックしたことに、水谷豊の心意気を感じるし、刑事貴族などの昔のドラマの印象があればこその成功とも感じる。逆に、「古畑任三郎」で天下を取った田村正和は、その後もいくつかのドラマに出演したが、とうとうそのイメージをぶち壊すことができなかった。今でも古畑任三郎のモノマネを見ることがあるくらいだ。それは役者冥利につきるのか、苦しいものなのか。

ドラマの「当たり役」が視聴者に植え付けるイメージの凄まじさを改めて思い知った。

警部補 古畑任三郎 1st DVD-BOX

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相棒 season 1 DVD-BOX

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寺脇康文益戸育江も「刑事貴族」で共演してるんだよなあ。ついでに彦摩呂も出せばよかったのに。




ちなみに、読んでるブログがこんな記事をあげていて驚いた。本当は、ちょっと前に考えていて、ずっと書きあぐねて諦めていたのだが、これを読んだ勢いで書いた。