読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

2015/12/11 お金と感情と意思決定の白熱授業の感想【環境デザイン】

雑記 テレビ番組
NHKの番組「お金と感情と意思決定の白熱授業」を見た。
この手の番組にはハズレがない。

備忘録がてら走り書き。
環境のデザインが人の意思決定に大きな影響を与える。
トイレで小便の飛沫が床に飛び散るのを抑えるための便器のデザイン。
バイキングでお客が食べる量を抑えるための環境デザイン。
肥満対策にもなり、店側のコスト削減にもなる。
お客が満足した上で、自発的に食べる量を抑えるための工夫。
これについての答えは明かされなかったが、私は鏡を設置するのが良いのではないかと思った。
バス停の待合所の椅子で体重が測れるようになっており、それが多数の目に触れる形で表示されることで、恥ずかしさを自覚させ、運動を促す。
人はちょっとした手間をかけることも煩わしいと思う。
人は思った以上に怠慢である。
ピザを注文するときのフォーマット。
トッピングのチェックボックスをクリックすることで何もないピザの上に具材がのせられていくシステムより、全てのチェックボックスが埋まった状態の、トッピングが全て乗ったピザから、チェックを外していくことで注文の内容を決めるシステムの方が、トッピングの総量が増える。
臓器提供に協力する場合はチェックしてください。よりも臓器提供しない人はチェックしてくださいとしたほうが、協力者は増える。
私たちが意思決定をする決め手となっているのは、目的でも願望でも〇〇(失念)でもない。

 なにより印象に残ったのは、懸命にメモを取っている人がたくさんいたことだ。スマホで写真を撮っている人もいなければ、文字を打ち込んでいる人もみかけなかった。いたかもしれないが。

紙にペンでメモを取っている人をよく見たし、カメラは捉えていた。そちらのほうが視聴者に「真剣味」が伝わるということもあるだろうが。

やはり実際に手を動かして文字を書くということのほうがよく覚え、よく考えられるのだろうな。と思った。番組終了間際にそう思い、こうして急いでタッチパネルで打ち込んでいる次第だ。何もしないよりはましだろう。

便器に小便の照準を合わせるためのポインタをつけるデザインの件は、数年前にテレビやらなんやらで見た記憶がある。しかし、実際にそういった便器は、思ったほど広まっていない。ほんのちょっとの手間なのに。管理者側としては「どうせ掃除するんだから一緒だよ」という思いがあるのかもしれない。個人的にはそういったポインタがあると、つい照準を合わせてしまう。ほんのちょっとではあるが、楽しくもある。

こういうちょっとした環境デザインの工夫で、その行為や空間に気づきや楽しみが産まれるということだ。例えば、重度の障害者の就業支援なんかだと、利用者は超単純労働をしており、それをスタッフが支援という形で補助したりするわけだが、ままならない事が多い。そこで、様々な工夫を凝らす事になる。それは直感に働きかけるものにならざるをえない。言葉で、動きで説明する事は、思った以上に難しい。そうした時の考え方と、番組でやっていた環境デザインについての考え方について、非常に似ているものを感じた。つまり、言葉で説明する。写真で説明する。説明するにもいろいろな方法があるが、受け手がそれを読んで理解しなければいけないという時点で、改良の余地があるということだ。真に優れたデザインとは、無意識に行動させるものだ。それは、楽しい、恥ずかしい、快適、なども内面の感情、無意識に働きかけるものと言えるのかもしれない。

三栄水栓 トイレ掃除がラクに 飛散防止シール W762

三栄水栓 トイレ掃除がラクに 飛散防止シール W762




f:id:friedhead:20151212035422j:image
こういうのもそのひとつと言える。気持ち悪そうだけど、非日常感が面白い。


家にある電気のスイッチも、同じ形のものが上下に配置されているだけで、どこのどの電球につながっているか直感的にはわからない仕様になっているものが多い。
身近な生活の中にも、もっと工夫の余地がありそうなデザインはたくさん見つかりそうだ。スイッチのデザインの件も、何年も前にそういう話があったように記憶している。ホテルや公共施設など、いろいろな人が短期的に使う場所の電気のスイッチのデザインは、もっとわかりやすくしたほうが良いだろう。しかし今もなお、旧来のデザインのスイッチがほとんどの場所で使われている。それくらい違和感を感じないのだろう。そして怠慢なんだろう。

ただ、そうしたちょっとした心配りは、気づかれないかもしれない。明らかに心地良くになっているのだが、あまりにも直感的すぎると、それを実感できないかもしれない。ふと、かがんで道ばたの吸い殻を拾いあげても、誰も気に留めないように。商業的にはあまり気が進まない改善なんだろう。多額の費用をかけて改善しても、当たり前に受け入れられて、感謝や評価をされずらいのだから。コスパが悪い。

思い返してみれば、こうして当たり前のように文字を書いたり、写真を貼り付けたりしてネットにアップしたり、誰かのそれを見たり読んだり、車で道路を走ったり、水を飲んだり、日常の中でいろいろなことをしているが、そのことに関するありがたみを感じた時はあまりない。なくなって、初めてわかる、ありがたみ。本当に感謝すべきことは、そういう当たり前の中にたくさんある。