明日になれば忘れてしまうような記事を毎日読んでいる

少し前に面白いブログがないという記事が話題になったり、ブクマスパムどうとかいうのが話題になったり、記事を読んでくれたお礼云々とか、金を払ってブクマを買ってるマッスル馬鹿とか、 ブログ(ネット)をどう使うか論みたいな記事が増えて、私もなにかしら思うことを書いた。

ふと、本棚にあった「けなす技術」が気になってちょっと読んでみた。前書きの時点で感じた妙な既視感は、一章の初めで確信に変わった。上記の話題について書いていたのだ。しかもかなりうなづける内容だった。多分一年前くらいにこの本を読んだけど、内容について綺麗さっぱり頭から消えていたわけである。さらに本は、そのように忘れゆくことについても書いてあったのである。なんかアホらしくなった。以前にも考えていたことについて忘れてしまい、また同じ場所をあーでもないーこーでもないと考えているわけだ。

「何周目だよ」なんていうツッコミを見ることがあるが、それはその人が、そのことについてたまたま覚えているだけに過ぎず、たいていのことは忘れてしまっているわけだ。だから同じような話題に対して、同じような意見の記事がぐるぐる回っているわけで、それは螺旋のように徐々に上に上がっていっているのかどうかすら怪しい。上に行ったと思ったら横に行って下に行ってまた横に曲がってみたいなことを繰り返しているわけだ。それならまだマシな方かもしれない。で、そうであるからこそ、どのようにブログと向き合うか、ということについて進んでいくわけだが、もちろんそんなこともすっかり忘れているわけである。ちなみにバイラルメディアがクソであるということにも触れていた。この本は2005年の本だ。十年経った今でも同じようなことでわーわー言うとるわけですよ。すっごい虚しくなった。この本は私がブログを始めるにあたっての指針を求めて購入した本だというのに。

で、この本で、やまもといちろう氏はどうしたら世間の常識から逸脱せずに自分の意見をより鋭くできるかという目的で記事を書いているのだという。今ではそういった鋭さとは別の鋭さを感じることも多いが、もう十年も前のことだから色々と考えが変わっているところはあるんだろう。立場もかわっているだろうし。それも一貫性を持ってブログを書き続けてきた結果であると考えると趣がある。

本書ではブログの世界は将来的にしぼんでいくだろうと予想しているが、現在は陳腐化が進んでいるように思える。しかし、その内容は自分と向き合ったものではない。みんな「自分のために」書いているという部分については、現在でもそうなんだろう。しかしそこに欺瞞があるものが増えたように見受けられる。自分の内面と向き合っているようなブログ。文字にすると簡単だが、それがどういうことなのか、行動に移すことは意外に難しい。そしてそういうブログを自分が面白いと思うことも、改めて気づかされた。

当時もうなづきながら読んでいたはずなのに、一年もすると完全に頭から消えている。それでまた本を読んで思い出す。こんなことばっかりだ。それは他人の本を読むだけではダメだ、ということなんだろう。自分の体に染み込ませるためには、それだけじゃダメなんだと。今、書きながら当たり前のことなんだと思ったが、そういう慢心があるからいつまでも同じところでぐるぐるしてるんだろう。当たり前のことじゃないんだ。そのために本を読んだり考えたり何かをした時に、それを体に覚えさせるための方法の一つとして、こうして文字に起こす行為がある。この時私はこう考えていた、という記録する行為が記憶になるんだろう。何周目だろうが関係ない。こうして書いたところで、いずれ忘れてしまうんだろうけど、せめて残そうとしなければ。読書というのは、何度でも何度でも読み返して、考えたことを何かしらの行動に移すところまでを言うのだろう。読んだだけじゃダメだ。

昨日食べた飯も満足に思い出せないのに、昨日考えたこととか読んだことを覚えているわけはないよな。役に立つ情報とか、誰それの赤裸々な日常とか読んでるけど、さっぱり記憶に残ってないんだもんな。面白かったかどうかすら覚えてないっていう。例えば加藤はいねとか面白いと思うけど、今何か覚えてる記事があるかっていったら、ない。面白いけど忘れる。一方でどうでもいい日常の出来事っていうのはなんでそんなこと覚えてるの?ってくらい覚えてる。それくらい体験っていうのが文字とは比較にならないくらい記憶に関係してるってことなんだろう。だったらいったい私は毎日なんのためにどうでもいい情報を見ているんだろうと思う。どうせ来週には忘れてんのに。消費するっていうのはそういうことなんだろう。その時の暇を潰せればそれでいいんだろう。ネットはバカと暇人のものとはよく言ったもんだ。私は暇なんだ。貧乏暇なしなんて言うけど、暇してるから貧乏なんだ。

ライフハック記事見ても実際に何かやらないとなん意味もない。飯テロ記事読んでも実際に食べに行かないとなんの意味もない。それは人の意見に左右されたいと思ってるわけじゃないのかもしれない。ただ知ったかぶりたいだけじゃないのかもしれない。心の底では、記事をきっかけに何か行動を起こしたくて読んでいるんだろう。でも結局記事を見てそれで終わってるから忘れちまうんだろうし、それは口コミ記事を口コミで広めてるだけに見えるクソだらけだからなんだろうな。それでも懲りずに徘徊するんだ感動を求めて。知ったか野郎の出来上がり。あほらしい。

あーネコ画像でも見てほっこりしよ。

けなす技術

けなす技術