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結末がない夢の終わりを自覚する時

雑記
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年に数回、体が大きく脈打つような痙攣とともに目を覚ますことがある。夢にうなされて起きるのではない。夢の中の現実的ではない出来事が急に立体感を増し強い現実感を覚え、驚いて跳ね起きるのだ。例えば、大きな穴の中へ延々と落ち続ける自分をロングショットで捉えている。その焦点がどんどんクローズアップされていく。それが急激に自分の視点と重なり現実の自分が落下しているような感覚を覚えた瞬間に恐怖で体が大きく痙攣し飛び起きる。それはボケ〜っとしていて気がついたら肩にデカイ虫がとまっていた時の驚きに似ている。

瞳孔は開き、鼓動は激しく、すぐに夢だとわかり安堵する。しかしその夢の内容がよく思い出せない。直前まで見ていたのに、とてつもない恐怖を覚えたのに、ディテイルが乏しい。たいていの場合、私は夢の内容を詳しく思い出せない。よく自分の見た夢について語り出す人がいるが、つい(その記憶は確かなの?盛ってない?)と思いながら聞いてしまう。いや、そんなことは当人もわかっていて、だからこそ覚えていた夢について、覚えているうちに誰かに話したいと思うのだろうか。

もちろん全く覚えていないということはない。覚えている夢の共通点は「結末が無い」ということだ。その前とその後があるような流れの中の場面を断片的に覚えていたり、思い出せたりはするのだが、その結末はいつもわからない。それがある目的に対して何かをしているような夢であっても、必ず結末を迎える前に目を覚ます。

そうはいっても、どこを結末と考えるのか、といわれれば言葉が無い。区切りはあっても終わりは無い。エンドロールでも流れれば「終わり」とわかるのだが、夢はどこまでもメタ視点を構築できるので結末とは言えない。それが夢である限り、結末を迎えることはあり得ない。

しかし私は冒頭のように夢が立体感を帯びて現実感を獲得した時、そこが夢の結末なんじゃないか、と考える。私は二十歳を超えてから、何度か寝小便をしたことがあるが、その時は決まって夢の中で小便をしていた。気持ちよく小便をした夢を見ると、小便を漏らしている。夢の中の小便の途中で下腹部に現実的でな温かみを感じ、起きると最中だった。なんてこともあった。

面白いもので何度かこういう経験をすると、夢の中で尿意をもよおした時に(小便をしてはいけない!)と夢の中で必死に尿意を制しようとする意識が働く。それは夢心地の客観的視点なのだが、同時に現実感も備えている不思議な感覚だ。放出行為特有の快楽への誘惑と現実の敗北に対する恐れが夢の中で葛藤する。誘惑に負けた時、夢から覚める。しかし、一度は誘惑を押し込めることができても、それは何度も襲ってきて、やがてゆっくりと現実に戻りいそいそと起き出してしまう。夢から現実に引き戻される。

つまり、夢と現実の感覚的な距離が不本意な形で合わさろうとするその時、ようやく夢の中で夢の終わりを自覚するのだ。