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オタクの皮をかぶった似非茶人

雑記
言及記事です。
実はこの人、僕のことが好きなんじゃないかと思う - サブカル 語る。
サブカルを騙る人に、不意にエンカウントしてしまいました。読んでみたらやっぱりアレだったのでめんどくせーけどアレします。もう何日もたっているのにメンドクセーとか言いながら言及するんだったらシロクマさんに言及すればいいのに。

この記事の前半はただの幼稚な揚げ足取りで悦に入ってるだけだから割愛。

僕の高校時代は前もいったとおり、キン肉マンの王位争奪編のビッグボディで盛り上がり先鋒のペンチマンが敗れて続く次鋒レオパルドンも敗北後、マンモスマン、俺たちの分も残しておけよ」といって不敵に笑うフェニックスまでの様子を1人芝居で演じていたり、当時放映していた電光超人グリッドマンの素晴らしさをお互い熱く語りあったりしていたので、周囲から見たら「なんだコイツら」と思われていた事でしょう。 だけど、それが本来のオタクじゃない?

本来のオタクとか言われても。こういう人たちが「なんだコイツら」って思われたのは、それが本来のオタクだったからでもなく、その内容がしょーもないミーハー話だったからでもなく、他者を寄せ付けずに身内でキャッキャやっていたからっていうだけの話。ミーハーのくせに「オタク」になりきってアヘ顔を晒しているから「なんだコイツら」ってなったんだろう。そういうのよく見た。

で、「オタクになりきって悦に入っている自分」をこともあろうか茶人に例えてるんですよ。なんと厚顔無恥な方なんでしょう。これは話が通じないわけだ。
この記事でも書いたとおりオタクとは本来茶人であり、自らの価値観を頼りにキャラやストーリーの中からモノの良し悪しを見極められる趣味人だった。上記のものをおさえているのは当たり前の話でそのうえで、誰も話題にしないものから自分達の「おもしろい」ものを見つける。ゆえにオタクは周囲と交わる事ができない。従って「気持ち悪いよ」とか言われる存在でした。だけど、僕らはそれを誇っていました。

薄い知識と浅い見解を大事に抱えて「人に理解されない俺カッケー」なんて誇らしげに振る舞う自意識に対して「気持ち悪いよ」と言っているのにそれが伝わらない哀しさ。

MやS、Nはどうだか分からないけど少なくとも僕は。周囲の注目しないものをおもしろがるって、
それはまさに「個性」じゃない。自分がイイ!と思う人たちが少数って、これほどオイシイものはありません!だってそれだけ自分の個性は特殊であると証明されているんだから。そういう意味で言うと自分の趣味を理解できない人を僕は可愛そうだなとも思っていたし、みんながみんなおもしろいというものを追うのはファンではあるけどオタクではないと思っています。
「個性」「少数」「オイシイ」「特殊」などのキーワードや「自分の趣味を理解できない人を可愛そうだと思う」ところからも「こんな俺カッコイイ」とアヘ顏の自給自足欲求的な拗れた自意識がシッカリ現れている。モノの本質やカラクリに対する好奇心や探究心が一切ないということが読み取れる。この人がよく知られている題材に対する中身の無い記事、あまり知られていないような題材に対して否定的な記事が多いのも、こういった部分に原因がある。イキってるミーハー以外に表現のしようがない。
だけど現在「オタク」を自称する人って自分の趣味を否定されたら怒ったり、ムキになって反論してきたりと、どうしてこんなにナイーブになった?そういうナイーブな人に配慮してエロゲーについて書いたら自分で作品名を挙げて作品の持つ素晴らしさを語って僕のブログを批判してきたりとかするのをみて、ただ困惑です。
内容の批判よりも「騙ってる」という自意識への言及に反応して法的措置をとらんとするヒステリックな「自称オタク」には一生理解できない世界。

今も昔も、偽物っていうのは自分の肩書きや自意識に対してだけは饒舌で敏感だ。

で、茶人の話なんだけど、茶人はもてなしのプロ。相手に不快な思いをさせないために、色んな事を知っていなければいけない。色んなモノを見て、その来歴を知っていなければいけない。感性はそういった経験から育まれる。良し悪しの判断の妥当性は、その知識と経験に担保される。もちろん作法も身につけていなければいけない。その上で、自分の意図を織り込んで臨機応変に客人をもてなすのが茶人の本領。上の人が何一つ満たしていないことは言うまでも無い。似非茶人だ。当時もこういう輩はいたるところで跋扈していたようなので、特に珍しいことではない。

ネットで誰もが手軽に情報を配信できるようになって、いわゆるオタクの知見っていうのも多く見られるようになったけど、その面白さの源泉は濃さにある。それこそがオタクがオタクたるゆえん。時にはその濃さに胸焼けすることもあるが、それは理解されない相手を見下したり、批判されて開き直ったりといった自意識を拗らせた似非茶人の気持ち悪さとは全く別のモノだ。