ファッションと価値観とへうげもの

ノームコアとマツコ・デラックス
思ったことをつらつら書きます。

ファッションに正しさを求めるのはどうかと思うけど、TPOに合わせたファッションというものはまぎれもなく存在するので、そういった正しさで判断されるファッションというものはあっていいと思います。ファッションていうのは「自分をどう見せるか」という演出の一つであって、そこから個人的な好みや思考、生き様がうかがい知れるからこそ大切にしなければならないと思うわけですし、そういった雰囲気のようなものにこそ格好良さが宿るので、ただ鍛えているからといってTシャツを着ているだけでカッコよく見えてしまうのは、その生き様に思いを馳せてのことなのだろうと思います。

とはいえ、Tシャツ一枚とはいえサイズがどうなのか、素材はなんなのか、など、見るべき箇所や気を使う箇所は様々あるわけで、靴がよれよれのダンロップだったりするとどうなのか。ジーンズの裾を切ったホットパンツを履いていたらどうなのか。それをみてトータルでカッコいいと言うひとはどれぐらいいるんだろうかと思います。「鍛えててカッコ良いよね」くらいは言えるでしょうが、そう言うしかないという場合もあります。

例えばホリエモン時代の寵児として大活躍されていたころ、会見だかなんだかにノーネクタイどころかTシャツ一丁で現れて物議を醸したことがありましたが、あれがカッコよく見えた人はホリエモンの生き様がカッコよく見えていたからその格好も好意的に見えたのだろうし、「だっさー」と思った人は、そのTPOをわきまえない手前勝手さやそのTシャツが高いものであると殊更主張するホリエモンの垢抜け無さや、たるんだ腹から想定する不摂生さが際立つ衣装を着ていたことに、カッコ悪さを感じたわけです。

要するに、カッコよく見えるかどうかというのは、その人の雰囲気によるところが大きく、それは何に価値をおいて生きてきたか、という生き様から発せられるもので、それは当然、ファッションからも窺えるものです。だからこそ「服に着られる」といった表現があるのだと思います。

で、そういったカッコよさの価値観、好みをいかに広めるか、という戦いが昔からあったことが「へうげもの」という漫画で描かれています。

へうげもの(1)

へうげもの(1)


戦国時代は武力での争いが主に伝えられています。勝者の価値観を敗者に強要し、勢力を強めていくわけです。喧嘩が強いものが価値観を決められるというわけです。もちろん戦に負ければ、その価値観は強制的に変えられます。この闘争は「正しさ」の価値観に対するものでした。こういうところは、今も昔も同じようなものです。

へうげもの」は、「正しさ」を巡る価値観の争いを武力とファッションや芸術などによるカッコ良さの両面から描いています。武力で勝ったものは敗者に「正しさ」を押し付けることで力を誇示し勢力を伸ばしていくのですが、「カッコ良さ」で勝ったものも同様に「正しさ」を得ることができ、その正しさは武力のような強引さがないので反発が起こりにくいわけです。「カッコ良さ」の頂点にたった千利休の求心力は、時の権力者を左右するような力を得ることになり、結果、自害を余儀なくされました。

こうして考えると「カッコ良さ」という価値観がもたらす影響がいかに大きなものかが分かります。現代に翻ってみても、やはりある行為やある考えた方を「カッコ良い」とする価値観を植え付けようとする活動がたくさん見られます。それは良い悪いではなく、それほどに大きな力だと言えます。

マツコデラックスが「カッコ良く」見えるのも、それは彼の生き様に対してのものであり、それがファッションからも窺えるところにあるわけです。マツコデラックスマツコデラックスとして最初にテレビに露出した時、それは一種のゲテモノ的な扱いであり、好意的に受け止めた人はあまりいなかったように記憶しています。私たちは、マツコデラックスに対してどういう印象を持っているか、その情報はどこで得たものなのか、その情報はどれくらい正しいのか、などといったところなど、色々と思うところはあります。そのカッコよさは、先達が切り開いた道あってこそということもできますし、そういった価値観が広まった背景に思いを馳せてみるのも面白いのではないかと思う次第です。