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欠損女子に感じる違和感

雑記
こんなことが話題になっている。
義手・義足の“欠損女子”に会えるバーに潜入

私はこの記事と反応を見て、気分が悪くなった。
砂糖やクリームを大量にブチ込んだコーヒーを飲んでしまった時のようなムカムカである。
これがスイーツ脳というやつだろうか。こういう形で障害者がクローズアップされることでしか大きな話題にならないようなところが、なんとも悲しいし、しらじらしい。

もちろん、それは欠損がある、障害がある人に対する差別心からではない。彼女たちが悪いわけでも問題なわけでもない。欠損を「かわいい」とか「かっこいい」とか表現するような障害がある人への過剰とも言える配慮や扱いと、それを「素敵なこと」「良いこと」なんて言いながら万歳しているような読者に対しての気分の悪さだ。小指が無い欠損男子がかっこよくみえるというのだろうか。

障害者が社会で生きるということは、特別扱いをしないということであり、それは私たちと何も変わらない扱いを受けるということだ。こういう記事が大きなニュースになっている時点で、障害者はお客さん扱いされていると言わざるを得ない。このバーが期間限定で営業されているところも、一企画を思わせる商売臭さを感じる。

昔、障害者と話していて、はっとさせられたことがあった。
彼女は自虐的なギャグを言うのだが、それを私は笑うことができなかった。
それどころか固まってしまった。別にギャグが寒かったというわけではない。
(これは笑っていいところなんだろうか)
(これを笑ったら誰かに怒られるかもしれない)
という思いが、私の頭の中でぐるぐる回って反応できなかったのだ。
そんな私のとまどいを見て取った彼女は、
「そういうのが一番良くないよ」
もう慣れているといった表情は、少し哀しげだった。

例えば乙武洋匡さんが、ビートたけしの指示で人間大砲の弾として砲筒に詰め込まれ、盛大に発射されるような映像があったら、笑えるだろうか。世間はどんな反応をするだろう。これが相当な批判を浴びることになり、後日乙武さんがブログで火消し活動をするところまでは容易に想像がつくだろう。そういった風に世間の認識を捉えているからそういった企画はなく、こういった砂糖やミルクをブチ込んだスイーツ仕様になってしまうのだ。

NHKがバリバラという番組をやっているが、こういったバラエティがNHKにしか存在していないところが、障害者に対する世間の認識というものがどれぐらい歪んだものなのかを現している。こういった番組を民放が作らないのはなぜなのか。こういった番組にスポンサーが付かないからだろうか。こういった番組では視聴率が取れないからだろうか。障害者が民放にでてこないのはなぜなのか。そして今回のような記事が褒められているのはなんでなのか。

古畑任三郎というドラマがあったが、一つだけ、今から考えても珍しい回があった。
福山雅治が犯人の回なのだが、彼は下半身が不自由で車椅子に乗っている役なのだ。そして彼の殺人は、下半身が不自由になったことへの劣等感に端を発している。ここまで堂々と障害者の負の面を扱ったドラマはあまりない。未成年とかもそうだった。そういった作品を目にする機会は、2000年前半くらいを境にめっきり見かけることがなくなった。今でも見かけるものをしいてあげるとすれば、性同一性障害についてくらいだろうか。それもほとんど見ることはないし、腫れ物を触るような扱いではあるが。

この話題も少しすればアイスバケツチャレンジのように世間から完全に忘れ去られるだろう。
そしてパラリンピックやらなにかの折に、思い出したようにこうした白々しい企画が出てくるのだろう。いつまでこういうことを繰り返していくのだろうか。


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