ミヤモさんに言及されたんだが、着火点が意味不明すぎる件

なんか凄い勢いで言及されたので、凄い勢いで言及します。長文でーす。

私がパクリだと書いたのは、今回の記事に限らずちょこちょこあなたのブログを見ていて、何か誰かとおなじようなことばっかり書いてるな、とオリジナリティっていうか、そういうのが全くないな、といつも思っていたものですからね。「おなじような時期に」「おなじテーマを」「おなじような構成で」書いているという記事があまりにも多いな、と感じたゆえにパクリと書いてしまったわけです。あなたは敬意を持って記事を書いたわけなんでしょう。私も本当は「オマージュ」としたかったのですが、私の「オマージュ」の認識とはあまりにもかけ離れすぎていてどうしてもその言葉を使いたくなかったのです。気に障ったのなら「パクリ」という言葉を「オマージュ」に脳内変換していただけると幸いでございます。ま、おそらくどういうものを取り上げて、どういう構成で書けば良いか、的なものをお仲間と議論した上でそういう記事作りをやっているわけでしょうから同じになるのも仕方ないだろうな、と思っています。

ま、この人とは価値観が違うんだろうな、とおもってます。
そんなことよりも、イケダさんに「ヨイショ」してるってことにぼくは反応しました。
っていうところに、僕は反応してしまいました。

改行多すぎて引用が面倒くさいっす。
ぼくはイケダさんのことをリスペクトしてます。これはぼくの周囲にいる知人はほとんどの人が知ってる話です。ブログの話になればイケダさんの話を頻繁に出しますし。
なぜか私も知っています。頻繁さが半端なくて尊敬っていうより信者っていったほうがいいんじゃないかと思ってしまうくらい、スゴイです。リスペクトしてるわりには、彼への言及の内容が非常に薄いのが気になります。好きなものを語る時の熱量と饒舌さというのがイマイチ伝わってきません。これがなんでなのか、と頭を悩ませる時があります。リスペクトしてるからってむやみやたらに名前を出すような行為を私は嫌います。ある意味、売名行為と受け取られても仕方のない言及になってしまうことがあるからです。例えばですがね、拝啓イケダハヤト氏へ、なんてカテゴリを作るほどの人がいたとして、そういうのがちょっとアレだな、って思ってしまうんですよね。
このへんは価値観の違いなんでしょうか。
しかし、ぼくはイケダさんに依存してません。
藪から棒に、依存してないって言われても困りますが、私はそんなこと一言も書いていませんが、誰かにそういうこと言われたことがあるんですか?それとも依存という言葉をご存知ない?
いそんかんけい【依存関係】
1 ある人・物と他の人・物とが、互いに頼り合う間柄であること。
2 論理学で、ある事物の存在・状態・価値などが、他の事物によって規定され、制約される関係。原因に対する結果、目的に対する手段、理由に対する帰結など。依属。
イケダ氏があなたに頼っていることがあるとは考えにくいですが、あなたがイケダ氏の有料のサロンや塾にいくらかの集客効果をもっているというのなら、頼っている、ということもできそうですが、無理やり感は否めませんし、そこまでいうつもりもないです。
逆に、あなたのブログは、イケダ氏への言及が頻繁なあたり、あなたがイケダ氏の影響力に頼っている、という取り方もできます。このへんは価値観の違いですかね。

わざわざ依存してないとか言うあたり、「またそんなこと言って〜w」なんて茶化したくなってしまうんです。
なんていうか、ぼくはイケダさんに関心があるというよりは、イケダさんの生き方に関心があるんですよ。どうしてアソコまで周囲を煽れるのか、なぜあんなにも人から嫌われることを恐れないのか、最近なんて「いつか道端で見知らぬ人に殴られたい」とか発言してましたからね。この人は狂人だなっとおもったワケですよ。
「すげー」とか「やべー」とか「あこがれるぅ」的なわっしょい感丸出しの言及してないで、イケダ氏の生き方に関心があってリスペクトしてんなら、そういうところを考察してブログの一本でも書いてみろよ、って思います。イケダ氏の名前出すばっかりで、そういうことしてないじゃん。そういうの売名っていうのじゃないの?
ブロガーの中には「最近のイケダさんが好きになれない」とか「おかしい」といってる人も多いんですけど、ぼくはいつもイケダさんの記事を読んで「オモロイ!ヤバい!」とキャッキャしながら読んでます。
年収100万円くらいで生きていたイケダさんが好きだったのか、収入の構造がおかしいと思ってるのか知りませんが。私は、イケダ氏を「オモロイ!ヤバい!」と思いながらみてると思いますよ。あなたとは違う意味で。だから何がオモロくて何がヤバイのかを言葉にしましょうよ、プロブロガーやりたいんだったらさ。価値観が違うのかなー。
人間はただ生きてるだけだったら退屈なだけなんですよ。
社会にはイケダさんのような一種のエンターテイメントのように問題提起してくれる人が必要なんです。イケダさんのように前のめりで社会に発言してるブロガーはほとんどいないじゃないですか。
鼻ちょうちんでちょうちん記事を前のめりに乱発してる感が否めないんですが、これは人それぞれですね。社会に発信してるブロガーも、問題提起してくれる人も山ほどいるわけですが、その中であるていどの人たちにとってイケダ氏が輝いて見える理由はブログでマネタイズしてるからだと思っていました。あなたもそういった理由でブログをやっているのだと思っていました。映像作品や小説、雑誌や新聞などなどを見ていれば、エンターテインメントのように問題提起をするっていうのがどういうことなのかわかると思うのですが。少なくとも不特定多数をトンデモ理論で罵って相手の言い分は聞かない、でも人が集まったから盛り上がったでしょ?とかそういうものではないと思うんですが。極端に言えば、どんな人のどんな発信からも普遍的な問題を汲み取れるわけですし。これをエンターテインメントといっていいのかどうかは意見が分かれそうですが、やまもといちろんさんとの対談をはじめ彼の言動は、エンターテインメントを意識しているとは全く思えない内容だったのですが、このへんを考えるのは非常にめんどくさいので、価値観の違いということで。

ぼくが何でそうおもえるかというととてもシンプルで、LINEの田端さんの言葉を借りると、
「I love him」なワケですよ。
田端さんとか言われても知らんがな。マクドナルドじゃねんだから。
こういうまとめの一言のところで、なんで人の言葉持ってくるのかな?
そういうところがシンプルじゃないんですよ。
「私はイケダハヤトが好きなんです、もうなにをやっても許しちゃうもんね!」ってことでしょ。
そうやって書けばいいのに。LINEの田端さんの、とか言われても、だからなに?って話ですよ。
「LINEの田端さんが言ってんじゃーしょうがねえ……負けたよ……」なんてなるわけねーだろ。
イケダ氏のこともこういう使い方してるんですよ。権威主義的というかスネ夫的というか。
脱線したので、話を「ヨイショ」に戻すと、ぼくは誰かに依存しようとした時点で自分の進化が止まるとおもってます。言及者さんは、「イケダ師匠」といってますが、たしかにぼくがブログをはじめた理由としてイケダさんの存在は大きいです。しかし、イケダさんを師とはおもってません。ぼくはぼくなんです。イチブロガーとしてはイケダさんと対等だとおもってるし、ライバルだとおもってます。
上のように、こういうところで締めに人の言葉を持ってくるあたりが、力を持っている人に依存しようとしているなーと思うわけですよ。
師匠っていうのもさ、言葉のあやってあるじゃないですか。ちょっと大げさに言ってみようかなみたいなさ。自分で「i'm lovin' it 」っていうくらい尊敬してると方々で言ってるわけでしょ。色々と参考にしてるんでしょ。それってもう師匠でいいじゃないですか。師匠なんて何人いたっていいんですよ。そんで師匠でライバルでいいじゃないですか。そのへんのわけのわからないプライドがよくわからない。人の下につきたくないってことなのかな。
価値観が違うんじゃーしょうがねえ。
イケダさんは現在、「ブログ書生」を雇用していますが、その書生のみなさんにも自分を師匠として扱うようなマネジメントはしてないはずです。イチ人間対人間としての関係を築いてるとおもいます。
自分から師匠と呼べ、とはそりゃ言わないでしょうね。でも教えを請う側が「師匠」って呼ぶ、呼ばせてもらうってことはある。そういう関係ってすごく良いと思いますし、もちろんそれは人間対人間の関係ですよ。それは、そういった関係を嫌悪する人たちのそれよりはよほど濃厚なものでしょう。師匠と弟子の関係を一体なんだと思っているんですか?誰かに師事することがよっぽどお嫌いなようですが、一体なにがあったんですか?価値観の違いですかそうですか。
 なぜなら、イケダさんは依存する人を嫌い、「イケダハヤトという人間」に関心がない、興味がない人と付き合いたいとおもってるからです。
ああ、わかりました。彼が依存する人を嫌いだと言っているから、あなたは「私は依存していない」って誰も言ってないことをわざわざいうわけですね。そういうの、どうかと思いますよ。
じゃああなたは多分嫌われてるんじゃないですか。あなたはイケダさんに関心ありありで興味もちまくりですもんね。これでもかってくらい自分の名前をだすあなたを、彼は嫌っていなければいけませんね。

ぼく自身もイケダさんという人間には特に関心はありません。
ただ、イケダハヤトという人の「生き方」が面白くて注目してるだけなのです。
ですから、変に仲良くなろうとおもわないんですよね。
自分が面白い!と強く反応した時にはこうやってイケダさんの記事を言及したりしますけどね。よって、「ヨイショ」なんて気持ちは微塵もないのですよ。ぼくのイケダさんへの言及記事を読んで「ヨイショ」とかおもってる人は言い方がとても悪いですけど、レベル低すぎます。
で、でたー!ネタにマジレス奴ーー
だからよいしょっていうのも言葉のあやじゃないですか。ヨイショが嫌ならリスペクトでいいです。言いたいことの意味は似ていますので。あなたは彼にゾッコンなわけじゃないですか。で、文章の解釈って読み手に委ねられるところがあるじゃないですか。それであなたはヨイショだって取られても仕方ないくらいの量と質の言及してるわけじゃないですか。あなたは過去にも色々と言及されているじゃないですか。それらを踏まえた上で、図星突かれたからレベルの低い私に反応したのかな?って思いましたよ。まあ、個人的には別にヨイショでも、やる必要を分かっててやってるんならいいと思うんですよ。世知辛い世の中ですから、そういうことってよくあるじゃないですか。それをここまでの反応をされるとね。師匠に対する認識といい、ヨイショに対する拒否反応といい、目上の人とのいい思い出がないのかなって思っちゃいます。わかるよ、その気持ち!わっしょい。

ぼくは自分が「価値がある」とおもった情報だけを言及して、こうやってブログ記事にしてみなさんに発信してます。ぼくはブログの記事一つ一つが作品だとおもってるし、PV狙いだけの記事はかこうとおもわないんです。ですから、イケダさんの力を借りようという気持ちがそもそもありません。時々、拡散してくださることにはありがたいなとおもってますけどね。
私の記事に価値を感じていただけたようで、御礼申し上げます。作品ですか。
じゃあ私への言及は憎しみでもテーマになっているんですか?剣呑剣呑。
ここの「ですから」っておかしいですよ?まるでイケダさんが
「PV狙いだけ」の記事を書いているとあなたが認識していることになっちゃいますよ?
エンターテインメントは?問題提起は?おかしいなー。
時々、拡散してくださることにはありがたいなとおもってますけどね。
ふーーーん。これを読み手はどう思うでしょうね。しらこいなー。

影響力のある人に「ヨイショ」したら気に入られるのかもしれないですけど、その人が離れてしまったらあなたには何も残りません。ヨイショなんてする必要ないんですよ。
それよりも自分のパワーでインフルエンサー(影響力者)に認められましょう。
自分の力、ですか。インフルエンサーですか。
ここまで書いたらここに関していうことはないです。
ぼくは自分が良いとおもったことを誰かに伝えたくて、それをブログにして発信してるだけです。
今後もそんなスタイルでやってきます。それを「他人へのヨイショ!」とかいってる人はさっさと自分の生きてる環境を変えて、価値観を変動させた方がいいかとおもいます。
生きてる環境を変えて、価値観を変動ですか。しれっと凄いこといいますね。
一応今まで生きてきて、色々あった上でちょっとずつ価値観が形成されていったわけですが、
そこまで言われるほど、私がおかしくてあなたが正しいんですか。ヨイショしてるって書いただけでここまで言われることになるとは思ってなかったです。心狭いですね。

私も、師匠に言われたのならそうしますけど、そういう偉そうなことは、
私じゃなくてお家の中で、お父さんとかお母さんに言うようにしてくださいね。