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いじりはリテラシーの問題で根が深く、炎上はいじりの最新形である

「いじり」という下品な笑い - Togetterまとめ
いじりについて盛り上がってる。
私は芸人が番組の中で行う素人いじりっていうのは別に嫌いではない。
私が嫌いなのは、そういったテレビに感化されて勘違いした素人が素人をいじるアレだ。
「自分今噛んだ?」だの「それ⚪︎⚪︎やーん」(額ペシッ)みたいなアレである。
ただ身体上の特徴をバカにしたり、重箱の隅を凝視して人の間違いをただ大声で指摘する。
酷いのになるとただ悪口言ってるだけっていう。「俺毒舌だからー」とか言っちゃったり。
こういうやつは例外なくしつこい。お笑い用語の天丼をやってるつもりなんだろうけど。
素人の素人いじりっていうのは要するにバカが人をバカにしてるだけなんだよな。

ただ劣等感やストレスの発散、生まれながらに持っている差別心や暴力の欲求を満たしたいがために、こういう演技や演出を形だけ真似て面白いことをしたつもりになっているわけだから、まあバラエティ番組が子供に悪影響を与えているなんて批判されるのは当然とも言える。そうやって自主規制が強くなり、角という角が丸くされ、わかりやすさのみに重点は置かれた番組が多くなることも必然の流れなのかもしれない。そういうあからさまな姿勢に馬鹿にしてんのか?と思うこともあるがそうではなく、大半の視聴者は、文字通り馬鹿なのである。

私はこうした素人いじり芸が市民権を得たのは萩本欽一の影響が大きいと思う。
そりゃあ当時の素人的には「あの欽ちゃんに弄られた☺️」的なプレミア感が恍惚をもたらしたことだろう。私も子供の頃、地方営業できていた島崎俊郎に、イベントの進行を阻害するレベルで絡んで頭をしばかれたことがある。島崎俊郎的には迷惑千万だっただろうが、その時の有名人にじかに突っ込まれる快感というか、爪痕残した感というか、そういった高揚感は、今でも何にも変えがたいものがある。

それはそれとして、多感な少年時代にそうした素人いじり芸を見て勘違いした人たちが、大人になってもそうした「いじりという名のいじめ」を当たり前に行っているわけで、その流れが今に至っていると考えると、テレビの影響力の恐ろしさとリテラシーの重要さ、というか、私たちがいかにバカで間違いやすいのか、間違いを正すことがどれだけ困難なことなのか、というのがよくわかる。
そのうち
※この「素人いじり芸」は訓練を受けた素人で、安全に配慮して行われております。真似しないでください。なんていうテロップがつけられるようになるかもしれない。

翻ってネット界だが、炎上、などといってある記事やある人の見解が大いに叩かれることがある。
これは、上記のような勘違いが加速した先の素人いじりの最新形なのかもしれない。これまでとの変化は、いじりが双方向性になったところだろうか。一方が大きい主語で極端な「いじり」をすると、大勢が待ってましたとばかりに反応し、あらゆる角度から反撃する。炎上の大元になっているのは一見すると、大勢を罵倒したり煽ったりすることで「いじって」いるようにみえるが、実はおおぜいに反撃させることで「いじらせている」と見ることもできる。

通常はいじる側が面白いという評価を得るが、いじられる側にはなんの利益もない、損害だけだ。しかしこうした「いじり」と「いじられ」の利益関係についても最新形は一線を画している。炎上するといじられる側に回るわけだが、それで利益をあげることができるのだ。こうなるといじられる側のモチベーションも高まり、いじられ甲斐というものもでてくるだろう。一方でいじる側も正義ヅラして相手をこき下ろすことができるので、満足感のような利益のようなものを受け取ることができる。とはいえ、いじられ側が得る知名度やPVなど実利的なものと比べると、それはあまりに儚く、独りよがりなものではあるが。

今もネットの片隅で「いじられ」待ちの記事たちが手ぐすねを引いている。