意味合いの違い

ある言葉の意味を調べようと辞書に助けを求めたら、たらい回しにされた挙句に受付に戻ってきてしまい、もやもやが晴れぬまま辞書を閉じる、たまにこんなことがある。そんな言葉は毎日のように私の周りを飛び交っているが、いちいち意味がわからないと頭を抱えることもない。自分で使うこともある。なんとなく意味がわかったつもりになっている。主観の面目躍如といったところだろうか。相手も同じように意味がわかったつもりになっていることだろう。それは言葉に含まれる意味合いを互いに近いレベルで共有しているということだが、その言葉の内側に主観で固着された意味合いというのが、生まれたところも住むところも性別も年齢も仕事も趣味も違う人と同じような様相をしているというのは、面白くもあり、訝しくもある。
また、そうした共有しているであろう言葉の意味合いのちょっとした齟齬が争いの種になったりもする。ちょっとした齟齬ならまだ救いもあるが、意味合いが全く共有できていないこともあって、そんな時はおかしみを通り越して憎しみすら抱くこともある。この主観の食い違いをこちらに引き寄せるにしても、相手に寄せるにしても、互いに寄せ合うにしても、多少の衝突は否めず、互いの理解をすりあわせることは僥倖と言って差し支えない。これは、主観の中に少なくない量の主張が入り込んでいるからに他ならず、主張の中には相手に対する強制力が含まれているからだ。

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