排便についてのアレコレ

用を足す時間の手持ち無沙汰感がどうにも嫌で、大小関わらずトイレに行くときは必ず本を持っていくのだが、1ページも読み終えることなく場合によっては本すら開かないことがある。「早弁早グソも芸のうち」などという。確かに志村けんのスイカ早食いを見てすげーなんて思っていたなあ。早グソも時間に追われる仕事とかしているとありがたみがよくわかる。あくまでも自分が自分に、ということだ。他人のクソの時間というのは考えていて気分の良いものでない。

人は大きく二種類に分けられる。クソの時間が長い人と短い人だ。二十分三十分当たり前、なんて言う人もいる。はっきりいって仕事に支障を及ぼすレベルだ。これについてはもちろん当人も忸怩たる思いをそっと胸に抱いていることだろう。その対策として、ギリギリまで便を我慢していることだろう。肛門を激しくノックする便に対して、居留守を使うという人もいるのかもしれない。そう思うと、古内東子の「誰より好きなのに」のサビの部分が脳内再生され、震える。これは余談だが、クソに要する時間とトイレットペーパーの消費量が比例しているということは、あまり知られていない。もちろん根拠はない。

トイレに本を置いている人がいる。あら、勤勉なのね。などと思う方もいるかもしれないが、そうではない。トイレに本を置いている人は、すなわちクソの時間が長いということに他ならない。勤便というわけだ。こう考えると身も蓋もない話だが、実に蓋をする話でもあってわけがわからなくなってきた。

それにしても、いつからだろう。こんなにも排便の時間に暇を感じるようになったのは。子供のときに漫画を持ってトイレに入るということはなかった。真剣に、排便と向き合っていた。と、思ったらそうではなく壁に貼られた世界地図を見ていたことを思い出した。チチカカ湖。インカマチュピチュの遺跡。ナイル川マリアナ海溝。私はトイレで世界の様々な名所を自作のリズムに乗せて覚えたのだった。遠い過去の話だが、そのリズムが今も鮮明に蘇る。よし、あしたもがんばろう。



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