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どうしてアフィリエイターの薄い記事を読んでしまうのか


いわゆるアフィリエイターというのを私は興味深くも遠巻きに眺めているんですけど。
先日も化粧品会社のおばさんが「銀行の特別枠」とかいかにも嘘臭い手口で100円騙し取った疑いとかあったわけで。詐欺的なことって溢れているじゃないですか。なんというか詐欺的な事象には非常に惹かれるんですよ。下の人たちのことをいってるんじゃないですよ。

記事をパクリ言葉をパクリ


まあ見るに絶えない内容なのでわざわざリンクを踏むこともないのですが、

「親の葬式に出ない自由」だって、あなたにはあるんです。「親は大切にするべき」という「呪い」を振り払え : まだ東京で消耗してるの?

この記事が出た数日後に



こういった、内容を明らかに真似した記事がでてくるんです。
こういう奴他にどれぐらいいるんだろ、と考えると夜も眠れません。
どっかで聞いたことあるような名言を独自にアレンジしたものが溢れかえっているのもお手軽さゆえですね。
言辞を弄するのは、詐欺師の本領です。言葉は嘘を付かないだけに「誰が言ったか」というのがいかに重要か、改めて考えさせられます。

また、イケダ氏はこんなことを書いてるんですが

この記事の中にこんなことが書いてあるのですが

重要なのは「あなたが書くべき記事」を書くことです。それ以外は書く必要ありません。

これは客観的な基準があるわけではありません。あなたが「これは私が書くべきだ」と思うのなら、すぐに筆を執りましょう。「これは私が書く必要はないな」と思うのなら、別のテーマに挑戦しましょう。この純度を高めていくことで、サイトの価値は高まっていきます。

この内容すら彼らはパクるんです。もう記事探すのめんどくさいので貼りませんが。
こういうのをみていると、何故かアフィリエイターになろうとした知り合いの知り合いが互助会だかなんだかのセミナーに会費だかなんだかで60万円騙し取られた話や、唐突に「緊急のセミナーに参加しなければならないので」と言い出し、悪びれることもなく仕事を早退した人のことを思い出します。

図々しさの影にどことなく感じる哀愁


こうしてアフィリエイター同士を紹介しあったり、記事や言葉を使いまわしたりしている背景を勘ぐってしまいます。こうした人たちを面白いとも、いい意味で馬鹿だとも思わないのですが、それでもこうした人たちを興味深く見てしまうのは、お金のために自分にはできない、やらないようなしょうもないことを堂々とやっている図々しさを羨ましいと思う気持ちがあるのかもしれません。また、そこまでやるの?っていうぐらいの露骨さや節操のなさは滑稽に見えますが、裏側にほんのり哀愁も漂います。こういった部分に惹かれているのかもしれません。