社会を明るくする運動

もう20年以上前に亡くなった祖父の本棚から、こんな本が見つかった。

 

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社会を明るくする運動、の一環として出版されたものだ。

 

祖父は保護司をやっていた関係もあり、犯罪予防や非行若者の更生なんかの活動に積極的に参加していた。ちなみに保護司は完全無給のボランティア活動である。

 

社会を明るくする運動ってもう70年近く活動してるんだね。ちっとも知らなかった。

 

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西川きよしさ議員も参加してたんだね。なんか似合う。

 

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時代を感じさせるポスター

 

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啓蒙映画も作られていたんだね。つっぱりてw

 

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記念タバコなんて売っちゃったりして。今では絶対にありえないねw

 

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昭和二十六年以来、「すべての国民が、犯罪の防止と罪を犯した人たちの更生について理解を深め、それぞれの立場において力を合わせ、犯罪のない明るい社会を築こう」を合言葉に、国民運動として展開されてきた “社会を明るくする運動” 

ということのようです。

 

なんかね、今このタイミングでこの本が見つかったことがね、偶然とは思えないんですよ。今ネットにいる「正義の人たち」は、果たしてどういう思想で正義を執行しているんだろうって思うわけですよ。その記事、怖い顔して書いてない?って、悪を糾弾するのは結構だけど、ほんとにそのやり方じゃなきゃダメなの?って。ていうかその活動って実際のところネットの一部で数日話題になるだけで、現実にはあまり影響及ぼせてないんじゃないかと、いや、むしろ他罰的でヒステリックな正義の人ばかりが前に出て来るようになってそういう思想に毒されていたんじゃないかとすら思う。寛容とか多様性とか、言葉にするのは簡単だけど、その言葉を使ってる人にそういう思想を感じないことが多いんだよね、正直な話。

 

正義の人たちの思想が勝利した社会って、もしかして今よりももっと生き辛い社会なのかもしれない。タバコ吸ったら罵られ、セミナー開いたら詐欺と謗られ、パチンコやったらパチンカス、、、。なんかちょっとでも間違ったことやったと思われたらボッコボッコにされそうで。愚行を犯す権利だって人権なわけですよ。まあ悪人許すまじって気持ちはわかるんですけどね、叩いて潰してハイ終わりってのはどうかと思うんですよね。その人にだってその後の人生があるし、社会復帰しなきゃだし。でもそういうのも許さないって空気感あるじゃないですか。

 

でも現実には、社会復帰や更生のサポートをしている人がいるわけですよね。スポットライトがまったく当たらないし、ボランティアだから金にもならないけど、「社会を明るくしよう」っていう思想のもとで日々頑張っている人たちがいるんだなって、こんな形で思い知ることになるとは。

 

ネットでよく見る正義の人たちになんか言葉にできない違和感を感じてたんだけど、思想が無かったからなんだと合点がいった。彼らの活動には悪を罰したいという目的はあったが、その先のビジョンが無いんだ。少なくとも「社会を明るくしたい」という思想は感じられない。そこが引っかかってたんだ。

 

「刺されても発言する覚悟」とか言ってる人を何人か見かけたけど、覚悟ってそういうもんじゃないよね。自分が正しい自分が正しいばっかりで視野が狭すぎるんだよな。