読み方は読み手の自由とは言うけれども

午後の退屈な一本道の国道で私の前を走っていたトラックの背面は鏡面仕上げになっていた。やや曇りがかってはいたが、私の車や私の後ろの景色がかなり鮮明に映し出されているのを見ながら運転するのはとても不思議な気持ちだった。何に驚いたって、トラックの背面に映る景色と現実の景色が違和感なく繋がっていたことだ。例えば道路の白線やオレンジの線は現実から鏡面へと切れ間なく繋がっていた。鏡面と現実の景色も全く違和感がなく繋がっていた。

 

第何話なのかは知らないが、ゴルゴ13に同じような話があった。高速道路を走行中のターゲットの前を走るトラックは暗殺仕様のもので、背面はモニタになっていて同じような景色を映し出す。で、右へのカーブの時に左へのカーブをモニタに映し出して運転ミスを誘うというカラクリだった。作中ではまんまと事故に見せかけた殺害に成功するのだが、私は、そんなバカなことがあるかよ、と鼻で笑った。しかし実際に経験した後では、これは十分に成功しうる計画だと思い直さざるをえない。

 

漫画繋がりということでもうひとつ。

ヤンジャンのような夢 - 意味をあたえる

ベルセルク」という漫画があるがあれも途中まではなんとか読めたが女戦士がすごく強いのにあるとき生理になったら一気に弱くなってピンチになるという展開を見てちょっと気持ちが離れてしまった。そんなに極端に弱くなるなら今までどうやっていたのかというのが私の疑問である。年中戦争に首をつっこんでいるのに今回たまたま生理とたたかいが重なったというのは無理があるしつまり今までは何らかの対策を講じていたはずなのである。それが何らかのトラブルでうまくできなかったという描写があれば私もいくらか納得がいくがそういうのがないからなんとなく作者が生理に夢中になりすぎているような気がした。

 

ベルセルクを読まなくなって久しいが、私は上の部分を読んだ時、全く異なる印象を抱いた。ここは初期でもかなり重要な描写だ。読み方は読み手の自由だからとはいえ、こんな読み方をされるのはいくらなんでも作者が可哀想すぎる。

ここは女騎士キャスカが「自分が女性であることを初めて意識する」というとても大事なシーンだ。もちろんそれはガッツへの恋心に他ならない。それが受け入れがたい感情だったことはそれより前にきちんと描かれている。キャスカはグリフィスに惹かれて鷹の団に入りグリフィスだけを見て精進してきたが、それは英雄への憧れではあっても女性の男性に対する思いではなかった。だからガッツに会う前までのキャスカは女性として男性を意識せずに蛮勇を振るってこれたのだ。その時点では戦場において女性であるということは男性の油断を誘う強みだったのだ。それがガッツと出会い、共に様々な苦難を乗り越えていく中で、彼女は初めて女性としてガッツという男性を意識するようになった。ガッツに恋をしてしまったのだ。これまで彼女が心の底に閉じ込めてきた純粋な女の性の芽生えは、戦場の混沌においてこの上ない弱みとなるのである。それを象徴する描写としての生理なのである。